著作権法は著作者の権利を守るものではない

 じゃぁ何を守っているかというと、著作権周辺のビジネス、ならびにそこで生活している人たちの権利、権益を守るものでしかなくなっているってこと。Winnyの作者が言いたかったこともたぶんそんなことだろうし、輸入CDを規制できる改正著作権法とか見ていてもそれがうかがわれる。
 たとえば書物。著作者に入るのは1割といわれている。つまり残りの9割は書物という著作権パッケージを作る原材料費だったり、運ぶための軽油代だったり、無愛想な書店の店員の給料だったりする。そしてそれはパッケージを流通するための必要なコストだった、かつては。
 書物よりも音楽とかの方がその対比はわかりやすい。デジタルで高品質のデータが配信できるようになって、ユーザーがありがたみを感じるのはソフトウェアそのものになってきた。ユーザーは音楽そのものには価値を感じ、その部分だけなら金払ってもいいと思うけど、それ以外の部分、たとえばジャケットの原材料費、製造経費、輸送コスト、CD卸店やCD小売店を運営するための費用とかは必要コストではなくなってきた。つまりそういうところの商売は、デジタル高速通信の時代にあっては、不必要なのに金を取ろうとする存在、口汚ないいい方をすると寄生虫のような存在になる。
 もちろん現実としては、すべてがデジタル高速通信で流通できるような状況、すべての人がデジタルのデータだけで満足するような状況にはなっていないから、既存のパッケージメディア流通産業も存在意義はある。でもそこを保護し、パッケージメディアが不要と思うような人、場合にもよけいな負担を強いるという現在の著作権法の発想はそろそろあやうくなっているんじゃなかろうか。
 かといって、現状おこなわれている(いた)PtoPファイル交換のような、著作物を、著作者への金銭的フィードバックが想定されてない状態で流通させたところで、それは新しい流通形態ではない。いわば著作権ビジネスに対するテロリズムで、テロリズムなりの変化しかもたらさないと思う。