ルーツを探ってみた話

 帰省ついでに自分のルーツの話を聞いてきた。父方、母方とも祖父は早くに死んでいてあったこともないけど、どういう人だったのか両親にインタビュー。将来の祝詞の準備(うちは神道)でもある。

母方

 母方の祖父は元々ルーツが宗像水軍にあるらしく、その末裔が福岡の福間(福津市)に住みついていて、そこで醤油屋の息子として生まれた。親戚には酒を作っていた家もあるらしい。博多まで一族の土地伝いにいけたくらいの大金持ちだったらしい。
 じいさんは自由民権運動の全国行脚についていっていたらしい。金づるというかパトロンというかそんな位置づけ。で、5年ぶりに帰ってきたら失踪宣告されていた。じいさんの弟が鉄道事業(西鉄ができる前に、ほぼ西鉄と同じ線を敷いていたんだとか)で失敗したことと関係があったとか。
 じいさんは土器とかそのへんの古代史的骨董が好きで、それで身上をつぶしたらしい。
 そんなことを考えると、自分の今の興味の範囲とか、勤務先の業種とか、なんとも言いがたい縁を感じる。

 ついでに「福間 井原」でぐぐってみると、遠い遠縁にあたる人らしき商店の名前がいつくか見つかる。
 さらに、これなんかどうもご先祖さま一族っぽい。

そうして長女マサに宗像郡福間町の醤油屋井原篤平の長男千造を養子婿として娶わせた。

 じいさんは積造という名前だから、この千造さんの弟かも。
 どういう経緯でUSAに流れついたのか、どういう経緯で祖母と結婚したかがまだ抜けているな。

父方

 父方の祖父は京都府与謝野町(合併前の加悦町)出身で、朝鮮半島にわたってピョンヤンあたりで建設業(ちゅうか土建屋ですな)をやっていて、そこで父が生まれる。女中さん(もちろん現地の人)が魚の骨を取ってくれる生活だったらしい。
 ところが、早くに祖父が亡くなり、加悦に戻ってくる。その後祖母が再婚して再び朝鮮半島に渡る。終戦後、なんとかソ連支配エリアから38度線を越えてアメリカ側支配エリアに戻り、帰国して祖母の出身地USAに戻ってきて、定着。再婚した夫も早くになくし、その影響もあってか、なんちゃらの家に熱心にお布施していた。

 祖母の再婚相手がなくなったのがいつか、帰国後何をしていたのかが抜けているな。