twitterってもう頭打ちなんじゃない?

 そもそもtwitterのどこがおもしろいのかわからない。正確に言うと「使いこめばおもしろいだろうというのは想像できるけど、そういうことは私の今の日々の生活の中ではあり得ないだろう」というべきかな。


 たぶん1日20回も30回も書いていればおもしろいんだと思う。発言がいろんな方向に広がって、新しい仲間ができたりして。でもそんなこと無理。


 勤務先での今の担当業務は広報なので、1日中パソコンの前に座っているし、新聞社のサイトチェックとかでネットサーフィン(死語)を業務中にするのを咎められる立場ではないが、それでも仕事中につぶやくのははばかられる。どうみても業務ではないので。


 世間一般でみると、社会のかなりの部分を占める勤め人のほとんどは1日中デスクにいる時間はそんなに多くないだろう。さらに、最近ではエンロン事件の後遺症でコンプライアンスとかコーポレートガバナンスとかうるさい。「社員が勝手になにかを発信できるような体制はあかん」と株式市場がいっている(ソフトバンクグループ全社員2万人がツイッター開始へって、ソフトバンクコーポレートガバナンスはどうなっているんだ?)。さらに、業務中に業務に関係のないことをするってことはまさにサボリ行為なわけで、処分の対象にされる恐れもある。つまり、世間の多くの人は本来のtwitterの楽しみ方を体験できないわけだ。


 今週号の週刊ダイヤモンドtwitterの大特集だけど、主たる読者であるサラリーマンにはなにがなんだかわからないんじゃなかろうか。


 twitterを楽しめる人たちというと、さっと思いつくかぎり

  • インターネットビジネスの会社の社員(not IT企業)
  • アカデミズムの人たち(学生を含む)
  • マスメディアの人たち
  • いわゆるニートとかひきこもりの人たち
  • 在宅型の自営業・フリーランスの人たち
  • 内部統制とか労務管理のゆるい会社の社員

 あたりだろうか。専業主婦はちょっと微妙。こういう人たちは絶対数的にはかなり少ないはずだけど、オピニオンの影響力が大きい、とくにインターネット上で大きい人たちがぱっくりと含まれている。でもこういう人たちはすでにハードにつぶやいているだろうからこれから人数はそんなに増えない。で、これが「もう頭打ち」と思う理由。インターネットビジネスをやっている人たちが自分の回りだけを見て「これからはtwitter(とtwitterもどき)が伸びる」とか「twitterが世界を変える」とか思い込んで事業構想を練っていたら間違うと思う。


 とはいえ、twitterのアカウントはこれからも増えていくだろう。でも増えていく分はほとんどROM(これまた死語)的な人で、有名人や知人のフォローをするだけ(現状の私の利用法でもある)。
 仕事している人は帰宅してからとか休みの日とかにつぶやける」かというと、そうもいかない。飲みいったり、趣味に時間掛けたり、家庭サービスしたいりというようなことがあって、帰宅してからずっとパソコンに向かっているわけにはいかないだろう。
 「職場のパソコンが使えないのならモバイル機器でつぶやける」かというと、そうもいかない。できるのは休憩時間か移動中。PCに比べるとけっこうめんどう。フルにコミットしている人に比べると出遅れ感が漂うし、そもそも最初のtwitter体験がないことにはそういうモチベーションも起こらない。
 ROMのために、時間の流れの早さを補うまとめサイトがけっこう繁盛しそう。ちょうど今の某巨大掲示板まとめサイトのように。


 インターネットというのは時間や空間を越えていけるのが大きな特徴だと思っているけど、twitterはそこに時間という概念を再び大きな障害物として持ち込んでいるといえる。はてなハイクのスター(ハイクだけの仕組みじゃないけど)はけっこうハイクにフィットしている仕組みで、これがあるおかげではてなハイクは時間が経過してもそれなりの楽しみ方ができるような気がする。


 さて、ジョギングにいってくるか。