どこから憲法違反なのよ

 毎日新聞に掲載されていたエッセイ(?)。

 いつにも増して後味の悪い国会だった。

 中国の軍事的脅威の瀬踏み、アメリカに対する期待と懐疑、反戦平和の理想と国防の現実との調整−−について、もっと深く議論する道はあった。

 安全保障関連法の成立は国防政策の重大な岐路には違いないが、これが憲法9条解釈の、戦後最大の変更とは言えない。

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 戦争放棄、戦力不保持を定める憲法9条の、戦後最大の解釈変更は言わずもがな、自衛隊の創設(1954年)である。

 憲法制定当時の首相・吉田茂は国会で「9条は自衛戦争も放棄したもの」と公言していた(46年6月26日衆院本会議)。

 ところが、後年、自衛隊をつくった。46年答弁との矛盾を突かれると、「戦力を持つ軍隊は持たない(=自衛隊は戦力には当たらない)」と反論し、護憲のハードルをかろうじて跳び越えた(54年5月6日、衆院内閣委員会)。

 「戦力なき軍隊」は吉田の思いつきではなく、当時の法務府法制意見局による憲法解釈の変更だった。背景に朝鮮戦争があった。戦争が始まった50年、警察予備隊が発足。52年、保安隊になり、休戦(53年)をはさんで54年、16万人で自衛隊がスタートした。

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 自衛隊の海外派遣、活動領域の点検が問われたのは冷戦後だった。

 湾岸戦争を契機に国連平和維持活動(PKO)協力法が成立(92年)。朝鮮半島情勢緊迫を背景に周辺事態法ができ(99年)、日本海の不審船事件を経て武力攻撃事態法など有事法制を整備(2003年)。

 9・11同時多発テロ以後は、自衛隊のインド洋派遣(01〜10年)、イラク派遣(03年)が、各特別措置法に基づいて実施され、そのつど、専守防衛との関係が議論された。

 先週成立した安保関連法に対する国民の不安の核心もまた、自衛隊の活動範囲の拡大である。

 言い換えれば、アメリカの戦争に際限なく巻き込まれるのではないかという不安。この問いを突き詰めれば、アメリカの世界政策をどう見るか、そもそもアメリカとは何者かという問題に行き当たる。

 それは取りも直さず、中国とは何者であり、平和共存は果たして可能かという問いと通底する。

 自衛隊の適切な活動範囲を見極めるため、まずは国際情勢の的確な把握、認識の共有が国会に期待されたが、議論はその方向へ向かわなかった。

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 議論を深める行き方はあった。遠隔地での自衛隊集団的自衛権行使につながる「存立危機事態」「重要影響事態」の関連法案、国際平和支援法案を、比較的支持の高い日本周辺の日米協力やPKOの関連法案から切り離せばよかった。結論が出ぬ部分は継続審議にすればよかった。

 はじめ、民主党も維新の党もそれを探っていたのだが、衆院憲法審査会で自民党推薦の憲法学者まで「安保法案は違憲」と断じる事件(6月4日)が起き、流れが一変した。

 野党は「すべて廃案、政権打倒」に集中、論戦は政治闘争に変質した。

 そうなった責任の一端は政府・与党の提案のしかたのまずさ、10月以降に持ち越したくない思惑、首相のヤジ、一部自民党議員の低劣な言動にあるが、複雑な課題を「立憲主義、民主主義の危機」と単純化し、政治の劇場化を進めた野党にも共感できない。残念な国会だった。(敬称略)=毎週月曜日に掲載

 メディアはこういう話を昨年の閣議決定のあたりからなんども読者に提示すべきだったんじゃないかと思う。今になってなんでい!という感じ。

 議論が単純化したのには多分にメディアの責任もあると思う。毎日新聞だって、少なくとも見出しレベルでは単純化に同調していたように思える。

 今回「立憲主義の危機」と日本共産党が煽っていたけど、ということはこれまで立憲主義は保たれていたということであり、様々な解釈変更も全て合憲であると認めたということ。まさか「海外派兵は違憲」「自衛隊そのものが違憲」とかに後戻りはしないよね。

 「これまでの解釈は合憲、今度の法案は違憲」という主張で納得できる説明にはいまだにお目にかかっていない。「集団的自衛権の行使に当たるから違憲」といったループではなく、「解釈変更は許されない」「内閣法制局の主張を変えさせたのがけしからん」といった手順の話でもなく、「個別的自衛権の行使やPKO協力までは合憲だけど、集団的自衛権の行使は違憲」という納得できる説明に。「自衛隊違憲」「海外派兵が違憲」という主張なら、ロジックは理解できるけどね。