「いいちこ」を文法的に解説する

 wikipediaにあまりにもとんちんかんなことが書いてあったので、USAネイティブの立場から解説。

ことばとしての「いいちこ」という表現は、大分県の中でも主として北部で用いられている。
「〜ちこ」はこの地方独特の強調表現であり、大分の他の地方でも用いられる「〜ちゃ」と同等もしくはさらにその強調型といえる。「〜ちゃ」+「こん(この)」が結合して「〜ちこ」となったものと考えることができよう。「こん」は、(しばしば「こーん」と変化して)間投詞として用いられることも多いが、ときに語尾に置かれて、表現を強めるために用いられる。
いいちこ」は、すなわち「いい(よい)」の強調型であるが、この場合の「いい」は、価値を積極的に評価する場合などの「いい」であるというよりも、むしろ、断り・拒絶としての「いい」である場合が多い。
価値を積極的に評価する意味での「いい」を強調する「いいちこ」という表現も時として聞かれないわけではないが、こうした用法は非常に稀であるといえる。
断り・拒絶の強調表現としての「いいちこ」の用例として次のような会話が挙げられる。
母「ひろしちゃん、今日はさーみなっき、こん上着を着ちいきない(ひろしちゃん、今日は寒くなるから、この上着を着ていきなさい)」
ひろし「いいちゃ。今日は、ずっとぬっかろうけん(いいよ。今日は、ずっと暖いだろうから)」
母「風邪(かじぃ)引いたらつまらんき、着ちいきないちゃ(風邪を引いたら困るから、着ていきなさいよ)」
ひろし「いいちゃ(いいよ=要らないよ)」
母「着ていきないちこ(着ていきなさいってば!)」
ひろし「いいちこ(いいってんだよ!=要らないってば!)」

 どんなバックグラウンドを持つ人が書いたのかは知らないが、「ち」は「〜ちゃ」とは全然別物だし、「こ」は「こん」ではない。ちなみに「こん」は共通語でいうところの「この」。
 「ち」は大分県の北部でも中部でも使われる、共通語の「〜と」に相当する語。「こ」は文語文法で出てくる「こそ」が現代に残っているもの、つまり係助詞で、対応する語は已然形となる。「いいちこ」を略さずにいうと「いいちこいえ」。普通の文語でいうと「良しとこそ言へ」。正確に現代語に訳すと「いいといっただろ」。
 大分県北部では「〜じゃないか」「〜やんかいさ」というニュアンスで「こされ」という。「山んなかでがさごそゆうきイノシシかと思うたらイン(犬)でこされ」とか。「こされ」は「こそあれ」が短くなったもの。
 同様に「ばかなことをいうな」の意味で「ばこいえ」という。これは「バカこそいえ」が短くなったもの。
 共通語でも実はこういう表現は一部残っている。「うそをつくな」の意味で「うそつけ」と一見命令形のようにいうが、これは命令形ではなくって已然形。
 「いいちこ」はいい意味でもよく使う。「価値を積極的に評価する意味での「いい」を強調する「いいちこ」という表現も時として聞かれないわけではないが、こうした用法は非常に稀であるといえる」って、主観的だと思う。ご自身の家庭環境をこんなところに反映されても・・・。私がふと思いつく典型的例文といえば
 「にいちゃん、すまんなぁ、いつも世話になって」
 「まぁいいちこ。飲めや」
という感じ。もちろんこれとて主観的な選択ではあるけど。こういう用法を想定して焼酎の銘柄として使ったんだと思う(「いちばんいいですよ」というのは明らかに意図的な誤訳)。逆に言えば、焼酎の銘柄に使うということは、好ましいニュアンスで使われることの方が多いということが反映されているんではないかと思う。
 高校入学時にもらった(というか買わされた)副読本「国語便覧」に「大分県北部には係結びが残っている」って書いてあって、なんのこっちゃと思っていたけど、ある日ふと「こされ」が係結びなんだと気がついた。そうそう、国語の先生たちにも関わらず「こくごびんらん」と読む人がけっこういたなぁ。