mixiほぼ半年

 mixiに参加してほぼ半年になった。それなりの意味は感じるけど「中毒状態の人多数」というのを実感できないのよね。たとえば最近興味持っているスピーカー関連の書き込みは楽しみだったりするけど、それはmixiだからというよりも、たまたまその話がmixiで盛り上がっているだけだと思う。
 なぜかといろいろと考えてふと思い当たったのは、mixi、というかSNSの基本的な考え方である「友達の友達は皆友達だ」になじめないからではないかと思う。私にすれば「友達の友達は友達候補だ」ということ。友達になるかどうかは自動的に決まることじゃなくって、自分で感じる、判断することだから。
 たとえば、自転車仲間にはテッチャンが多いんだけど、テッチャンサイクリストのテッチャン友達ってのは知り合いとはなっても、友達になることはあまりないんじゃないかと思うんよね。
 こういうことを考えるときの根本的な問題として「友達」という言葉の閾値が人によってさまざまだということがある。もちろん人なつっこさが人によってさまざまだってこともあるけど、単に知りあいを友達といっているような人も多いだろう。
 それは普段、特に休日に何をやって過ごしているかというライフスタイルに依存する部分も大きいと思う。私の場合、休日は自転車メインの生活になっている場合、友達ってのはほとんど自転車関係に絞られる。自転車の話をしている時の楽しさに比べたら仕事の話とか、プロ野球の話とかFIFAワールドカップの話とかは刺身のつまのようなもん。一方休日は心斎橋とか渋谷とかに出て買い物して飲んで踊ってっていう人だったら、友達っていう存在はいくらでも広がっていく。私から見たら「それってたんなる知りあいちゃうの?」って存在でも、楽しくひとときを過ごすことができるという意味では十分友達といえる存在なんだろう。でもって、mixiでは、というか世間一般では後者が圧倒的に多数を占めている。
 じゃmixiの自転車関連のコミュニティってどないやねん?って話だけど、両者が混在する形で、結果として全体が緩いほうに傾いているように思う。しかも、そのゆるいものに対して、誰が注意するわけでもなく、なんとなくみな許容している。たぶんこれは非匿名ゆえではなく、「友達の友達」の可能性を否定すべきではないという暗黙の了解によるんだろう。
 たぶんmixiの最大の潜在的弱点は、みなが妙に寛容だということだろう。「はじめまして」「教えてください」「ご相談」とか、スパムのタイトルみたいな、中身をあらわさない名前のトピックス立てても、何が言いたいのかわからない文章書いていても、特に指摘されるわけでもない。そんなのが続くとコミュニケーションがどんどん薄くなっていく。かつてNIFTYのフォーラムで経験したことのデジャブのよう。もっとも、mixi運営側としては、そういうお気楽な人でもどんどん増えていって、広告媒体としての価値が上がったほうがとりあえずの利益になるんだろうけど。
 私としては、これからもたぶんつかず離れずになるんだろうなぁという感じ。